14 コースケさん 

来た道を少し戻って、鮮やかな緑色のぎざぎざ葉っぱが生い茂るけやき林を横目に道が二股に分かれる左側へハンドルを向ける。尾根から山腹をジグザグにどんどん下っていくので軽快だ。谷間に向かって進むとうっそうとした森の中に入っていった。道の右側には岩と岩の間を水がせせらぐ渓流が寄り添ってきた。肌に触れる空気がスーッと涼しくなって、体感温度が急に下がって心地いい。渓流を跨ぐ橋に出会ってそこでモアちゃんのペダルを止めた。この森の中を見渡してみる。源流はさっきの大滝山いただき周りのどこかのはずだ、澄みきった谷川の水の流れは透明な音色を奏でている。観客のようにそれを聴いている森の葉っぱは、そのお返しにたくさん酸素を振りまいているのだろう、わかばの呼吸器が喜んでいる。

フ―ッと大きく息を吐いて肺の中を空っぽにしてそれから出来る限りの空気や音、森の色や香りも体に取り込もうと、大きく手を拡げながらぐるっと回ってそれらを吸い込んだ。

「す~ぅ、ふぅ~、あ~、いい気持ち~」

森の木々の合間からのぞく真っ青な真夏の空に向かって呼びかけたら、

「でしょ!」

わかばの足元の方から、不意に男性と思しき声がした。

「きゃ!」

声から遠ざかるように飛び上がったものの、飛び続けることは叶わず自分の悲鳴が消える前に、どすんと尻もちをついた。

人なんていると思ってないのに人間の声で呼びかけられてびっくりした、それにお尻が痛い。

「ごめんよ~ 気持ちよさそうな叫び声だったんで思わず合いの手入れたわ」

古びてざらざらなコンクリート製の欄干の向こうに短いつばの麦わら帽をかぶった男性の顔が見える。両手をはたきながら立ち上がると、川辺のゴロゴロした石の中で中腰になったままわかばに手を振る、出で立ちからしてこういうところは慣れてますよ的なおじさんがいた。

「、、、何をなさってるんです?」

「まぁ、ちょっとコッチ来てんまい。川底にいろんな虫がおる」

ここから降りられると指さしされて、道の端から川の中に降りてそのおじさんの方に向かった。

「コースケ、って呼んでくれたらいい。虫が好きなおっさんや」

と、自己紹介してくれた。

「私はわかばっていいます。昨日東京から来ました」

「そっか、お江戸さんか~こんなところ来るのは初めてじゃろ、ほら見てんまい」

と、川の浅瀬に横たわっている頭の大きさほどの石を両手で裏返して見せてくれる。

確かに石の裏とその下の砂利には、にょろにょろ、ぷにゅぷにゅ、ピンピン、ごにょごにょしたのムシがいる。悲しいかな、それが何というムシなのかさっぱり分からない。

「コースケさん、ムシがたくさんいるのは分かるんですが、何が何だかさっぱり分かりません」

「この黒っぽくってフシがある短足のがクロカワムシ、トビケラの幼虫。その横のコオロギがダースベイダーの兜をかぶったのがカワゲラの幼虫、ほんでこの、頭は魚のようやけど足があってごぞごぞしているんがカゲロウの幼虫。砂利の方で丸っぽいのが泳いでるけど、カメムシ、ゲンゴロウ、これタガメ。木の枝と見間違いそうやけどあれはミズカマキリ」

川の水は全く透明に透き通っていて、目を凝らすとわかばにもわかるメダカや小さなハゼがぴょんぴょん泳いでいるのが見える。水の流れが緩やかなたまり場にはアメンボが水面をスース―と滑っている。ふと見るとコースケさんは、別の石の裏を見て、お! これじゃ! いたいた! えぃ! と独り言をいいながら、肩から掛けているプラスチックケースの中にムシを入れている。虫かごも肩から掛けていて、その中にはすでに別のにょろにょろ、ぷにゅぷにゅ、ピンピン、ごにょごにょしたのが入っている。

「コースケさん、その虫かごに入っているのは何ですか?」

「お、そうや、わかばちゃんがおったんやの。川の虫採集はこのぐらいにして道に上がろうか」

よっこらしょと道に上がって、虫かごの中を見せてくれる。こっちのごにょごにょしたのは、何となく何ものかわかる。セミ、甲虫、蝶、トンボとかの昆虫だ。

「この中でこれは珍しいって虫はどれですか?」

「なるほど、訊き方がうまいの。これや!今年一番かもわからん超ラッキー昆虫や。羽の付け根に黄褐色のマックのマークが逆さになったのを背負ってるのがおるやろ。目もルビーのようで偉もんさんみたいやろ」

「うん、なんか風格を感じますね」

エゾゼミちゃん!標高1,000m前後のアカマツとかの針葉樹におるんやけど、なかなか見つからんのじゃ。去年は声はすれど姿は見えずを繰り返して結局会えず。ところが先日、”木を蹴るとビックリして落ちてくることがある”というのを知って、さっきアカマツの木を蹴ったらこれがホントに落ちてきたんや。」

そのエゾゼミを見る目は、愛おしさも感じられる優しいまなざしだ。