16 ウチさん
下ってきた道の左側に上がっていく道があって、竜王山への案内標識がある三叉路に出た。右手には下る道があるのでこれはのぶゑおばあちゃん家に戻る道のようだ。モアちゃんのハンドルを左に切って、また山肌の道を上っていく。こっちは人が住んでいるらしき民家が点在していて、間もなく「奥の湯」という案内板が見えて、そっちに向かう。ここも先程のキャンプ場と同じように谷川沿いに少し開けた地形だ。駐車場は車でいっぱいだ。目を先にやると川向こうには年季の入ったテントが3つほど張られていて、それぞれのスペースから食事の準備で煙が立ち上っている。その奥には、まだ塗装がピカピカのウッドデッキの横に小さなコテージやトレーラーハウスがあったりモンゴル民族の家のような丸いテントハウスも並んでいて、それぞれに家族やグループで楽しんでいるのが見え聞こえしてくる。
わかばが進む道の先には、藁葺き屋根の大きな屋敷がある。
どこからか移築してきたのだろう萱葺きの大屋根の周りは、たっぷりと幅のある軒先の上には日本瓦がのっかっている。古くて黒ずんだ柱に「もみじ庵」という木の看板がかかっている。中の土間では割ぽう着姿の女性数人が忙しそうに食事の準備をしている。
わかばのおなかがぐーっと鳴った。まさかその音が聞こえたのではないだろうが、一番近くの手ぬぐいを頭に巻いた女性がふとこちらを見て、
「もしかして、わかばちゃんかの?」
と声をかけてきた。
「はい、藤澤わかばです、、、どうして分かったんですか?」
「やっぱりそうや、ウチもまだ勘は鈍ってないわ。のぶゑさんから電話があっての、うちのかわいいひ孫がどうやら自転車でそっちに向かってるようやから、お蕎麦食べさせてやってって。今できるとこやけん、食べまい」
つよっさんがわかばがどのあたりにいるのか見てくれたようで、それをのぶゑおばあちゃんに伝えてくれたようだ。
「のぶゑおばあちゃんがおにぎり作ってくれたのと一緒に食べてもいいですか」
「もちろんかまんで。中に入って涼みながら食べたらええ。ここに座り」
と招き入れてくれた。中に入るとスーッと冷房が入っているのかなと思うぐらい空気が涼んでいる。土間に置かれた天然木の食卓について、のぶゑおばあちゃんが作ってくれたおにぎりとお漬物の入った曲げわっぱの弁当箱を置いた。
もみじ庵の中や外のテーブルについている客らしき人たちにはお蕎麦の入ったどんぶりが配られて食べ始めている。
「さぁ、食べまい、ウチらも一緒に食べるけん」
と、どんぶりが6つ載ったお盆をウチさんが運んできた。ウチさんの後を追うように4人の手ぬぐいを頭に撒いた女性陣がわかばを囲む。
「今日もまぁまぁの蕎麦やと思うで、しっぽく蕎麦っていうんやけど、、、わかばちゃんやな?知っとる?」
と、ウチさんのとなりのこの女子会の中ではおそらく一番年配のおねえさん。
どんぶり鉢にはお蕎麦の上に大根、人参、なす、こんにゃく、鶏肉など具だくさん。
「おかぁさんが年越しそばでこういうのを作る時があるんです、お父さんのリクエストで。けど、こんなにたくさん入ってるのははじめてです。皆さんありがとうございます、いただきます」
わかばを囲む女子会たちは、うんうんと頷きながらしっぽく蕎麦を食べ始めている。
アシスト自転車に乗ってと言えども標高差600メートルぐらいの道をアップダウンしながら走ってきたので、わかばのおなかの中は十分に空っぽだ。お箸で蕎麦と具をしっかりつまんで口に運ぶ。
おいしい!間違いなくおいしい。何がどうのこうのではなくって、全部おいしい。相当おいしい。食レポいらない。
のぶゑおばあちゃんのおにぎりもしっぽくの具を添えながら食べて、あっという間に完食。もしかしたらのぶゑおばあちゃんは、この蕎麦を食べるのを見做しておにぎりを握ってくれたのかもしれない。
ウチさんの周りの女子会たちはそそくさとおそばを食べて後片付けに回った。
ウチさんは、私のお相手をする役になったようで、わかばにこのもみじ庵や奥の湯キャンプ場などの話をしてくれる。
大滝山のキャンプ場と違うのは、この藁葺きの屋敷の中で食事を用意してくれたり、食べることもできること。また、近くに素泊まりの民宿もあってそこの利用客もここで食事を摂る。
テントや寝袋、食材などを自分で用意して食事は自分で作るのがキャンプ。テントの設営要らずでシャワーやトイレもあって食事も用意してくれるのがグランピング。キャンプ、グランピング、民宿があって泉質が評判の奥の湯温泉もある。
この寝泊りのバリエーションを楽しんで、長期にここに滞在するケースが増えているという。テレワークする若者が月曜日にここに入って、金曜の朝まで民宿生活をして金曜の午前中にWeb会議で仕事を報告して午後に仕上げる。夕食はグランピングに場所を移して打ち上げ。土日はキャンプで悠々自適、のんびり過ごす。日曜夕方に都会に帰って週明けにクライアント訪問をするケースもあるし、そのまま同じルーティンで仕事をするのもあり。
東京だとワンルームマンションの家賃だけで月10万とか。生活するにはもちろん食費や水道光熱費をはじめ、いろんな雑費がいるからあっという間に20万を越してしまう。ここにいると寝て食べて遊んでおつりがくる。
もちろん、いざ東京へとなったら、エイジの運転するバスとガソリンカーをモチーフにしたバスに乗ると30分で空港だ。
6時 起床 おばちゃんたちが用意してくれているおにぎり、みそ汁、お新香で腹ごしらえ
6時30分 民宿出発
7時 高松空港着
7時20分 羽田便出発
8時35分 羽田着
10時 オフィスもしくはクライアント先に到着
16時に仕事を終え、
17時20分の飛行機に乗ったら19時30分にはここに戻って暖かい晩ご飯が食べられる。
「なんと、埼玉とかの東京近郊から会社に通勤している人と時間的にかわらない」
「そうなんよ、ほんでいつもはこういうとこにおるやろ。いろんないいアイデアも湧くみたいやわ。メリハリ効かしてオンとオフって言うんかいの、自由に入り切りできるんがええみたいやの」
一方、ウチさんはじめ民宿経営者はそれぞれの民宿で個性を出しつつ、もみじ庵で朝食とランチを提供することで助け合っている。とはいえ、
「休める時間や休める日ってあるんですか?」
「そやろ!ほやけん、皆で一緒にするんや、融通利かせんかったらできんわ。皆ぼちぼちで出来よるけんやっていけよる。ほんでな、ここに来るお客さんってリピーターっていうんかの、結構多いんの、段取りつかんときはそんな人にも頼むん。そしたら手伝どてくれたり、自分でご飯作って食べたりしてくれての、助けてくれるんや」
もっといろいろ話を聞きたいと思ったけれど、どうやら夕食の準備に入るらしい。昼食の後片付けはほかの4人のおばちゃんたちが済ませた様だ。ウチさん(一旦名前を聞きそびれるとなかなか聞き出せず、聞き出せないまま終わるって感じになってしまった、なのでわかばの中でこの女性は”ウチさん”)が頭に手ぬぐいを巻き直してオンになった。
「また来まい、手伝てくれてもええで」
と茶目っ気な笑顔をくれた。と、その後ろからさっきお蕎麦のことを聞いてきたおねえさんが、
「これ、のぶゑさんとこ持って行って食べまい。さっきまで川で冷やっしょったけん、冷めとて美味しいわ」
と、身が真っ赤で瑞々しいのが一目で分かるスイカを半玉くれた。
「あ、今日太市おじいちゃんが病院から戻ってくるので、退院祝いになります、さっそく持って帰ります。ありがとうございます」
「そうやの。太市っあん、大したことなかったげなの。ようけ食べてもろていた」
なんだろう、このコミュニティは。みんながみんなのことを知っている。さぁ、太市おじいちゃんものぶゑおばあちゃんもちょうど家に戻った頃だろうから、帰ろう。