ちょっとコラム3
西暦2020年はいろいろ考えさせられます。つい先日、ほぼ時期を同じくして2つの出会いがあって考えを深めることができました。こたえが見つかった訳ではないですけれど。
こちらは、メンタルハーモニー研究所を主宰している中村俊一氏のメールマガジン。ちなみに彼は、小生の大学時代の同級生。自分の中でモヤモヤと思っていると、”ここか!”というタイミングの時に届くメルマガです。
---「人類の正念場」---
近代から現代にかけての人類の発展は、欲望の拡大再生産のおかげであるかもしれません。
拡大再生産という用語は、もちろん経済の用語です。
ある企業が、設備投資をして、材料費・人件費などの必要経費を含めて五千万円で、ある製品を作ったとしましょう。
その製品を利益分上乗せして売ったら一億円になりました。ということは、五千万円の利益ですね。税金分を除いて、その利益分を再投資してさらに拡大して生産すれば、もっと利益があがります。
単純化して言えば、これが拡大再生産ですね。
十九世紀末に始まったイギリスの産業革命は、人類の歴史を変えてしまいました。
フランシスコ・ベーコンが「知は力なり」と語ったように、知がテクノロジー(科学技術)として爆発的な力を持ったのです。
自然は人間の知によって、人間にとって快適で便利なように利用されるようになりました。
自然は、人間を生かしてくれる畏敬の対象というより、人間のために活用される材料や原料に、成り下がってしまった観がありますね。
そして、人類は産業革命以降、より快適により便利にと、「欲望の拡大再生産」を続け、現在、おそらく人類史上最高の快適さと利便さを手に入れています。
しかしここに来て、人類は、利用されている自然から地球温暖化による異常気象、環境破壊、さらには、疫病で、しっぺ返しを食らい始めました。
新型コロナウイルスの蔓延で人類は大慌てです。
2020年が、人類にとっての「終わりの始まり」になるのか、人類の「次元上昇(アセンション)」になるのかは、各国の政治家にかかっているのでしょうか?
そんなことはないですよね。
人類の一人である自分自身の生き方が問われているのですね。
快適利便の欲望の大海で育ってきた私たちは途方に暮れていますよね。
欲望を捨て、聖人のように生きることは不可能に近いです。
できるだけ自然と調和したいと願い、行動し、人類を超え人類を包むあらゆる存在に感謝の祈りをささげることしかできない。
さて、どう生きれば良いか、
いよいよ正念場のような気がします。
皆さんはいかが思われるでしょうか。
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とあります。
まとめてみると、
・人類は産業革命以降、「欲望の拡大再生産」を続け、現在、人類史上最高の快適さと利便さを手に入れている
・しかしここに来て、人類は、自然から地球温暖化による異常気象、環境破壊、疫病で、しっぺ返しを食らい始めた
・人類の一人である自分自身の生き方が問われている
・できるだけ自然と調和して行動し、人類を超え人類を包むあらゆる存在に感謝して生きる。さて、どう生きれば良いか?
前述しましたが、同じようなことを思っていながら自分では収拾しないところを的確にまとめていて感心しきりです。
そしてこのメルマガを読んで数日後、こんなのに出会いました。
---アイヌと倭人の話---
これは、インディアンの老婆と少年の物語
https://www.nijino-senshi.com/
を機会あって拝聴拝見することができたのですが、その後に別の人から「アイヌにも同じような話はある」と聞いた内容の超大まかなまとめ。
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倭人がアイヌの土地にやってきた。
アイヌの若者たちはその倭人が持っている鉄製の刀にあこがれた。
「刀が欲しいなら鮭を100匹持ってこい。そしたらこれをやる」と。
若者は必死になって鮭を取って刀を手に入れた。
長老は、
「彼らはなぜ鮭を100匹必要とするんだ?」
手に入れた鮭をどうするのかが理解できない。
若者には、
「なぜそんな鉄でできた刀が必要なんだ。石を尖らせれば魚を捌いたりクマの体から毛皮を剥ぐことはできる」
、、、
結局倭人の社会が勢力を伸ばした。
長老たちは、
「どちらがいい悪いではない。われらが彼らを内包できなかったということだ」と。
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(人が、いや自分が)これからどう生きればいいかというヒントはアイヌやインディアンが長く続けてきた生き方、生きざまにあるのではないか、、、。
更には1万年以上も続いた「縄文時代」にも思いを馳せます。自然と調和した平和な社会、宇宙も味方につけていた時代だと、多方面から注目されてブームになっています。自分で論を進める知見は持ち合わせていませんが、ここにもヒントはあるような気がしています。