1 太市おじいちゃん

夏休みまであと一週間となったとある日、晩ご飯を食べている時に焼酎を2、3杯嗜んだ父が唐突に、「ちょっと太市おじいちゃんを見に行ってきてくれないか」と。

早稲田で社会環境を専攻するわかばは大学院に進むつもりで、この夏休みは適当にバイトをしてどこかのタイミングで付き合って半年になる翔とシンガポールにでも行きたいなと思っていたところにである。

「なんで私が?ひ孫なんですけど~というか、温泉水を送ってくれてたのは知ってるけど、会った記憶ないし、、、」

「そりゃ、行けたらお父さんが行きたいよ。27年前かな、学生時分に行ったっきりで、今年こそ行こうと思ってたんだ。都合を聞こうと久しぶりに電話したら、太一おじいちゃんが入院したと。風邪をこじらせたぐらいで大したことはないみたいだけれど、お見舞いもかねて行こうかと予定したところにジャカルタの仕事が決まって一か月行くことになったんだよ」

「ふーん、じゃあその仕事が終わってから行けばいいじゃん」

「それはそれとして、わかばが専攻している社会環境ってのか、そういうのに参考になる場所かなと思ったりする。塩江といういなかで縁やゆかりを感じるのは、良いと思うぞ。」

確かに、わかばは田舎の社会環境を研究対象にしようと思っている、と言っても漠然と思っているぐらい。縁もゆかりもないところに思いつくまま行くよりは、テーマが掴みやすいだろう。親孝行を兼ねて、お小遣いももらって研究テーマが見つかるなら一石三鳥じゃんと、気持ちが切り替わって四国の小さな村を訪れることになった。

前日、わかばは少しだけ塩江について調べた。その気になれば、いつでもバーチャルタブレットが必要とする情報をテキスト、画像、映像、音で教えてくれるが、実際の場所でその情報に触れた方がいいと思ったのだが、塩江の温泉については興味を持ったので、予めタブレットから情報を仕入れた。

温泉の匂いに誘われて源泉に向かって歩くと、そこには六角堂と名付けられた源泉の場所を示す小さな小屋が2つ点在していた。6年前までは湧出量が一分で18リットルぐらいで水温も17℃と、潤沢な温泉とは決して言えない源泉だった。ただ、泉質的には硫黄の含有濃度が高く、それゆえ匂いもしっかりしていて、皮膚病などへの効能も十分期待できる水であることは広く知られていた。しかも源泉は、掘削して出ているのではなく湧き出ている、漏れ出しているだけの水を行基の時代から1300年もの間、人々がいただいてきたのが塩江温泉とのこと。

その本来の塩江温泉を復活させるだけでなく、”道後温泉”と一緒じゃない?という想いを持つ人たちが7年前に動き始めた。香川大学で長く讃岐のジオサイトを研究していた長谷川教授の資料は、貴重なヒントになった。九州から四国を横切って中部のフォッサマグマまで続く中央構造線との位置関係は、道後温泉とほぼ一緒。しかも和泉断層という南に40度傾いた地層に向き合えば、地下に向いて掘削しなくても同じ泉質の温かい温泉水が必要なだけいただけるのではないかと。

彼らの、湧き出している、漏れ出している温泉水を集めいただく想いは通じて、ほぼ水平に掘り進めることで病院に必要な療養泉だけでなく、塩江温泉の泉質を愛する人たちの気持ちを満たす湧出量と入浴するに十分な温度を与えてくれた。

わかばは温泉の匂いにつられながら川沿いを歩いていくと、滝に出会った。古ぼけた看板が”白纓の滝(しらおうのたき)”と教えてくれた。こんもりと茂った緑から木漏れる日光にあたってきらきら輝く岩肌と清涼な水流が美しい。大昔出来るべくして出来たこの滝は、ここで温泉が出ることを人に教えたかったのではないだろうか?そして塩江温泉に寄り添って、どのくらいの年月なんだろう、流れ続けているんだ、ここにあるんだと思った。

滝に連れて行ってくれた道の先には、源泉が湧き出ている六角堂があった。さらにその向こうには温泉施設が見える。少し寄っていこうかと思ったけれど、とりあえず太市おじいちゃんのいる療養施設に行くことにした。

わかばの曽祖父、太市は93歳、昭和9年生まれ。わかばにとっては、太平洋戦争やその後の日本の高度成長時代、バブル崩壊といった言葉は歴史上のそれでしかない。そんな激動の時代をどう生きてきたのだろうか、とか思いをはせるうちに太市おじいちゃんがいる療養施設に着いた。建物に入るとロビーでいきなりロボットに出会った。太市おじさんのお見舞いに来たことを告げると、顔認識ですぐに肉親であることが分かるようで、「ひいおじいちゃんになるんですね、ご案内しましょう」とトコトコ廊下を歩行していく。間仕切りされたブースのひとつのところで「太市さん、お客さんが来ましたよ」と声をかけている。中から「はいよ~」と明るそうな声がしたので、わかばは安心してそのブースを覗き込んだ。

「はじめまして、太市おじいちゃん、わかばです」

「おお~、わかばちゃんか、ほんまによう来た、よう来た、やっと会うたの」

太市はリクライニングベッドにもたれていて、その傍らに祖祖母ののぶゑであろう女性が椅子に腰かけてにこにここちらを見ている。

「まぁ、わかばちゃんね、写真やビデオでは見たけど実物はえらい別嬪さんやの。こりゃじいちゃんもすぐに元気になるんじゃわ。」

「お父さんから、ちょっと風邪をこじらせたぐらいって聞いてきたんですけど、ご加減はいかがですか。」

「わざわざ東京から来てくれてありがとで、ワシは全然大したことないんぞ、肺炎になりかけたんやけどここに来たらすぐ直ったわ。明日退院するけんの。」

すると、「この施設は、いろんなものが揃ってて、大きな手術じゃなかったらいろんな病院とか行かなくても事足ります」と、脇にいたロボットが得意そうに説明する。

「せっちゃん、ここで油売ってないで、そろそろ回診の準備じゃないの?」とのぶゑばあちゃん。

「じゃあ、また来るけんの~」とせっちゃんと呼ばれているらしいロボットがスキップのような足取りで出ていった。

「ああ見えての、せっちゃんは人間のことがよくわかっとんよ、何でもできるし。この施設の中で治療や療養してる人たちの体温や血圧、脈拍はもちろん、落ち着いているか、ちょっとカリカリしてるか、寂しがってないか、そんなことまで知っとって、看護婦さんやお医者さんに必要な時にその状態を伝えてるんよ。」とのぶゑばあちゃん。

「へぇーすごい。お医者さんはいつもここにいるの?」

「なかなかそれはの、難しげなわ。けど、せっちゃんを医者が使って治療とかするからおるんとほとんど変わらんのじゃわ。遠隔治療っていうんかの。ほんでいろんな症状に合ったお医者さんがせっちゃんを操作するけん、なかなかのもんみたいじゃの」

東京でも医療や介護の施設の人手不足を解決するのにロボットやITテクノロジーが利用されているのは知っていたが、こんなドローカルの山間の村で最先端の技術が見られるとあって、わかばはその建物の中を見学してみたくなった。

「のぶゑおばあちゃん、ちょっとここの中を見てみたいんだけど、いいかな?」

「ええやろ、それならせっちゃんの弟の保っちゃんにいろいろ案内してもろたらええわ、”保っちゃーん”って呼んだらええわ」

「タモっちゃん?いろいろいるんやね」

「それこそ保っちゃんに教えてもろたらええけど、看護婦さんはいつも一人か二人しかおらんでのう、夜も大変じゃろ、そういう手助けをせっちゃんのファミリーがしてくれて、そうじゃの、ここにはだいたい50人ぐらいが医療的なフォローやケアをこの施設で必要と過ごす人がおるんの、それを世話しよんじゃ。ちょっと見てきてんまい」

「タモっちゃーん!」と廊下で呼ぶと、「ほい、ほい」と廊下の向こうのオフィスルームらしきところからせっちゃんとは明らかに違ういでたちのロボットがやってきた。

「この中を案内してもらってもいい?」

「もちろん!私はそれがお仕事ですよ」

どうやらほとんど毎日のように見学者が来ているようで、一日の半分はそのお相手をしているらしい。残りの半分は、ここに滞在している人たちの話し相手をしているようだ。時には、夜寝られない人に寝付けるまで寄り添うこともあったり、ナースコールでブースに駆けつけることもあるらしい。

そういや、施設の中で看護師さんらしき人に出くわしていない。「看護師さんってどこにいるの?」と保っちゃんに聞くと、「僕らせっちゃんファミリーでは難しいいんをしよる、、、人間は分からんとこがあっての、その時その時で違うやり方をせんといかんぶんがあるんじゃ、そんなんは看護師さんの出番じゃわ」

「分かった、じゃあ、せっちゃんファミリーの仕事を見せてもらっていい?」

まずは、太市じいちゃんがいたブースの並び。よく見ると一人ひとりのブースは同じ広さではなく、診断機器や治療装置の違い、世話の掛かり具合とかで違っているフリーアクセス。プライバシーが確保された間仕切りになっているようだが、カメラの目とマイクの耳はフロア全体がわかるようフレキシブルに配置されていた。余程のことがない限り食事の介助や着替えといったベッド周りのサポートはせっちゃんファミリーでできる。どうしても人の助けが必要なケースも荷重がかかりすぎないよう軽量のロボットスーツが動きを助けるらしい。

「太市つぁんのひ孫のわかばちゃんじゃ~」と保っちゃんがわかばを紹介しながらブースの様子を見て回る。

「お、のぶゑさんに似とるの~ひ孫というても血は争えんの」

「街の大学生ってないでたちやね、いつまでおるんな?」とか、皆が優しい言葉をかけてくれる。

「太市おじいちゃんって有名人なの?」と保っちゃんに訊くと、

「そうやの、面倒見がよくって皆の事大切にするけんの、けどこの塩江温泉村はみんなが皆のこと知っとんじゃわ、都会ではプライバシーがどうのこうのとうるさいけど、みんなが皆のこと知っとんが安全なん、そんなところじゃ」

この言葉を聞いただけでもここに来た意味があるとわかばは思った。

それぞれのブースにいろんな状態の村人たちがいる。3日前にまちの病院で脊柱管のオペをしてリハビリを始めた人。喉に食べ物を詰まらせて運び込まれた人。熱中症になって点滴を受けてる人もいた。過ごす、生活する基本的なベースは自宅がいいという想いは村民皆にあるものの、一時的に体力が下がったり自立生活が送れなくなったりして、メディカルやケアが必要になった時にこの施設を利用するようだ。日帰りから長くても10日間ぐらいの滞在期間のようだ。ここにいる間はしっかり治療を受けたりリハビリをしたり、回復に向けて積極的に取り組んで、早く家に帰ろう、ここは村民みんなのための大事な施設なのでいつまでもいると他の人が困るからという気持ちがあるようだ。

「ここは、昔の湯治場のようね」

「わかばちゃん、そんな言葉よく知っとんな。まさにここは湯治場をコンセプトにしとんじゃわ、ほんまの湯治風呂もあるしの」

「え、やっぱり。ここでもほんのり硫黄の匂いが漂ってると思った。見たいな」

「もちろん案内するで、こっちじゃわ」保っちゃんが廊下から延びる離れの建物に連れて行ってくれた。