15 ごま塩オジサン

コースケさんは、桜が咲く頃から紅葉の手前まで、時間があるとこの塩江温泉村に来て昆虫や川の虫を観察したり採集しているらしい。今まで捕った虫の標本で自宅の一部屋が埋まっているぐらいなので”ムシ博士”と称号していいだろう。貴重な採集の時間を邪魔してもいけないので、スマホの連絡先を交換して後日珍しい虫の標本をオンラインで紹介してもらうことになった。

左右を緑の木々に囲まれた谷川沿いの道をしばらく下っていくと、木立の向こうにいろんな形と色のテントが張られていて、そのところどころで青白い煙が立ち上っている細長い広場が見えてきた。

山に囲まれた山の懐のセミの鳴き声や川のせせらぎに混じって人間世界の音が届いてくる。

道端の駐車場は車が整列。キャンピングカーも健診車と見間違うようなものから軽自動車タイプのかわいいものまで多種多様。杉の木立の中ではハンモックを掛けてユラユラに熱中している幼児、テント横で火をおこしてサイフォンコーヒーの準備をしているキャンプ女子。広場横の小川では親子連れが水しぶきをあげながらうごめいているのは、魚のつかみ取りのようだ。炊事場であろう小屋からは、デイキャンプには定番のカレーの匂いが漂ってくる。その向うにはバーベキューをするのだろう、炭火おこし組と食材準備組に分かれてる若者グループがいるが、なんか皆のしぐさが不自然に映る。カップリングパーティーかもしれない。そんなこんなで森の中にしてはまぁまぁの人口密度だ。

いろいろなテントが張られている中で、ひと際年季の入った深緑のテントが目の中に入った。同じ色のシュラフをロープに掛けて干している。テントの前には焚火を中心に薪や調理器具、食器、ランタン、冷蔵庫、発電機などがきれいにセッティングされていて、全体のデザインや色には統一感がある。キャンプらしいキャンプはしたことがないわかばだが、その洗練された設えはこのキャンパーのセンスを感じる。思わず立ち止まって見惚れていると、

「どうかしたんな?」

と、モアちゃんの後輪の方から声がかかった。振り向くと、これも深緑のバケットハットを被った、白髪の混じった髭がゴマ塩のようで印象的な面持ちの、中年と表現するのが適切だろう、おじさんだった。右手には飲料水なのだろう水の入ったポリタンクを持っている。

「あ、こんにちは。なんかきれいなキャンプセットだなと見惚れてしまいました」

「それは嬉しいの。ここに来たらあんまり人とは話しせんのやけど、かまんかったら冷たいもんでも飲んでいくか」

とわかばに声をかける間もなく自分の陣地に入ってポリタンクを冷蔵庫の横に収める。

そのごま塩オジサンはわかばを見ることなく、いつもは自分が座るのであろうスノーピークの椅子に座れと左手の親指で誘導してくれる。

素振りやしぐさから“欲”的なものが全く感じられなく、思わず同調してしまう。

「お言葉に甘えておじゃまします」

とモアを杉の木に立て掛けて、その陣地の特等席にあるスノーピークに腰かける。

ごま塩オジサンを目で追うと、ポリタンクの水をマグカップに注いでそれをソーダマシンにかける。冷蔵庫からボトルを取り出してその中に入っている白濁している液体を注いで、カチ割り氷が入ったらマドラーで混ぜる。手際よく外側に汗をかき始めたマグカップがわかばの前に出された。

「ありがとうございます!いただきます」

レモングラスソーダだ。レモンのごとくフレッシュな風味と草を感じさせる香りを炭酸が引き出す。おいしい。それとこの甘みは何だろう?砂糖ではない。

「こんなのがキャンプ場で飲めるなんてびっくりなんですけど、この甘味は何なんですか?」

「分かるんな、砂糖でないんが。麹が作った甘味やの。おもろい爺さんがおるんじゃわ、相手するんめんどいんやけどの。自分が納得するまで作り続ける頑固なじーさんじゃわ。そこで分けてもらいよる甘酒じゃ、それがこの甘味。」

”めんどい”を標準語に翻訳してもらったのをはじめ、いろいろ話をしてくれた。

どうやらこの”ごま塩オジサン”は、IT企業の経営者。平日は超多忙で週末はとにかくゆっくりしたいと、このキャンプ場に来ることになって10年が経つ。土曜日の昼前から日曜のディナーの1日半は、電話はもちろんスマホやパソコンにも一切触らずこのキャンプ場周辺を楽しむ。冬には雪が積もることもあるけれど焚火とシュラフがあれば快適だし、積雪が多ければかまくらを作ってその中で過ごす。塩江温泉村は家があるところまでくまなく光ファイバーが引かれているので、このキャンプ場もWi-Fi完備。それゆえワーケーションの場として使う人も多くなっているけれど、このごま塩オジサンは一切使う気にはならない。

「10年、週2日の時間、ここにいるのに全く飽きず、毎回新しいことに出会う。ここの自然には無尽蔵の面白さがある」

と。その面白さを土産に月曜から金曜に向かうのだという。

わかばは、是非ともスマホでIDを交換したいと思ったが、

「会いたければ週末、ここに来い」

と言われるのがオチになるのは想像できる。

「わかばに会えて話ができたのが今回の新しいことやな」

平日のごま塩オジサンにも会ってみたくなった。たぶんごま塩のない全くの別人なんだろう。