3 かっちゃん

店の前には6人の若者がいて、駐車場にはその台数の派手なボディをしたモンキーバイクが並んでいた。どうやら関西からツーリングのようで大阪弁が飛び交っている。

むき出しの太い柱に支えられた日本瓦の大きな屋根が特徴的な建物で、その軒先には何十年と掲げられて来たんだろうか、人の出入りで擦れて年季を思わせる暖簾。のぶゑばあちゃんはそれをくぐって玄関越しに店の人らしいおじさんに声をかけてる。

わかばの方に振返って、「腹ペコのひ孫が来とるじゃっていうとるけん、すぐ呼んでくれると思うで」

入り口横の窓から店の人たちが厨房で動き回っている姿がちらほら見える。

程なく、入口の戸が半分開いて「6人でお待ちの中原さ~ん!」と元気な声が。呼ばれた関西のバイカーたちが食堂に入ってからそれも程なく再び戸が半分開いて、店のおじさんが、

「腹ペコひ孫を連れてきた藤澤さーん、おふたりさん!」と、ニコニコしながら呼び込んでくれた。わかばのおなかがグーと鳴った。

店の中を見渡すとお客さんでほぼ埋まった席に挟まれた分厚い一枚板のテーブルが目に入った。奥の畳敷きにも一枚板の座卓がある。

「いらっしゃい!ひ孫ちゃん、ここでええかな?」とお冷の入ったコップをテーブルに置きながら入口からすぐのテーブルを案内された。

「はい、ありがとうございます」と、のぶゑばあちゃんと向かい合って一枚板のテーブルの前に腰かけた。

「かっちゃん、相変わらずいつ来てもお客さんでいっぱいやの」

「おかげさんで。何食べるか決まったら言うてね」と言うが早いか、首にかけたタオルで額の汗を拭きながら厨房の中に入っていった。

「わかばちゃん、メニューはいっぱいあるけど、周りの人を見たらわかると思うけど器が中華どんぶりばっかりやろ?余程のことがない限り中華そばぜっ、ここは」とのぶゑばあちゃん。

見渡すと既に食べている客は、それは見事に使い込まれた朱色の中華のどんぶりの中の麺をすすっている。

「ラーメン屋じゃないよね?」

「ここは食堂、ほやけど中華そばを皆が食べるん」

「じゃあ、それにするね」

のぶゑばあちゃんが「かっちゃ~ん!」と呼ぶと、

「はいよ~」と厨房から飛び出してきて、

「お決まりですか~!」

「中華そば2つの~」

「大?小?、にんにく、豆板醤のトッピングはどうしますか~?」とたぶんお決りだろうのセリフ、バイカーたちにも同じことをしゃべっていた。

「いつもどおりで小のなんちゃいれんのがええ」

そのかっちゃんと呼ばれている小父さんは厨房に振返って

「チュウカフタツね~~~!」と注文を入れた。

壁にかかっているメニューの札を見ると、親子丼とかのどんぶり系、確かかがわはうどんが名物のはずのうどん系、巻き寿司やきつね寿司もある。メニューだけ見るとどこにでもあるごく普通の食堂だ。

「あ、わかばちゃん、待っとる間におでん食べる?継ぎ足し継ぎ足しの出汁がええ味出しとるけんの、好きなんとっらええ」

と促されておなかはそれを求めたけれど、頭はあの中華どんぶりで何が出てくるのかの興味が勝って、

「ううん、中華そば待つわ」

わかばが座ったところからは厨房の中が見える。かっちゃんの奥さんであろう品のよさそうな女の人が手拭いを姉さん被りして、けれど汗だくになって大きな鍋でゆがいた麺を菜箸でどんぶりに入れている。

「なんであんな手間なことをしてるんだろうね、ラーメン屋さんは湯切りざる使ってるよ、まず例外なく」

「そう思うやろ、そこがここのこだわりみたいじゃわ。このいこい食堂はかっちゃんのお父さんがかっちゃんが生まれた年に始めたんの、ほやけん68年前とかになるわな。そのお父さんの作り方を変えずに守り続けてるみたいなんじゃ、ずーっと。今とちごてこんまい店じゃわ、ずーとここでしよった。その時から食べよるお客さんに同んなじもんを食べてもらおうと思もとんちゃうかの、たぶん、出汁の取り方や使うもんも昔のままやろうのぅ、なかなかできんで」

とか、この店のことを話していると、かっちゃんが外に向かって、

「お待ちのおふたりさ~ん、どうぞ~」

男性二人がわかばの横を通りすぎて一人は和服姿。深い藍色の羽織を意気に着こなしているというのがわかばにもわかる。無意識にその姿を目で追っていくと、奥の畳敷きに座ったその男性の丸い眼鏡の奥にある愛嬌のある目に辿りついて、見事に目が合ってしまった。

「あっ、この人、、、」思わず言葉が漏れてしまって恥ずかしくてすぐ目をそらした。

どこかで見たことがあるどころではなく、一年前に大学の講演会講師として登場した上方落語家だ。新作、古典落語のネタを織り交ぜながら大学生向けの学問のすすめを説いてくれたのを鮮明に覚えている。

「あの人のっ、いつぐらいからかわせったけど自分の飛行機を操縦してふらっとここに来るんじゃわ、今でも自分で操縦するかどうかはしらんけどのぅ。いわゆるお忍びさんやけん、そっとしとこな」

他の客もその着流しの落語家をチラチラ見るものの、駈け寄ったりサインや握手を求めたりはしていない。この空間はそういうところじゃないとの暗黙の了解があるようだ。

「お待たせしました~中華2つでーす」

と明るい声がして、四角い木のお盆でその朱色の中華どんぶりが2つ運ばれてきた。

「来たで、わかばちゃん、いこいの中華そば」

およそ中華の具とは言えないような鶏の親肉と卵とじ、かまぼこともやしが盛られているおそばだ。

「さぁ、楽しみ、いただきま~す」

スープをすする。うん、うん。東京では、塩や味噌、醤油と味を主張するラーメンや豚骨、鶏肉、牛骨、魚介といった出汁も際立たせるラーメンが多いけど、これはどれも主張しないけれど、バランスの取れた優しい味だなとわかばは感じた。

そして具の中で見え隠れする麺をこれもすする。

柔らかめにゆがかれた中太で卵色した麺にスープがよく絡んでくる。すっからかんのお腹に飛び込むのがよくわかる。

「おいしい」

麺と具を交互に食べるといろんな食感が楽しめていっそう美味しく感じる。おそらく「中華」の表現は日本だからする、こんな麺類は他の国ではないだろうなと思いながら日本の中華そばを一気に食べつくした。

「ほんまにお腹すいとったんじゃの、スープまですっからかんじゃ。おばあちゃんはこのかしわ肉をゆっくり噛んで味わうんが好きでの、病みつきなんじゃわ」

「わかるわかる、その気持ち。ゆっくり食べてね。私、あのおでんとってくる」

立ち上がっておでん鍋のところに行ったとき、ふと畳敷きに目をやるとあの落語家とまた目が合った。中華そばをすする彼からニコッと笑いかけられた、間違いなく。その人は、わかばが今日初めて味わったこのおそばの美味しさをずっと昔から分かってて、

「どうや、美味いやろ」

と目が語っているんだと思った。わかばははにかみながらペコっと会釈を返した。

おでん鍋の中は真っ黒といっていいほどの、ぎとぎと、どろどろと見える出汁に具が浸かっている。

お皿にこんにゃくとお豆腐をとって、もう一つ白く四角いはんぺんのようなのがあったので、それも載せた。

「おばあちゃん、このはんぺんみたいなのは何なの?」

「おてんぷらじゃが、はんぺんよりしっかりした味で噛み応えがあるんぞ。そうやの、これをてんぷらっていうんはさぬきだけかもしらんのぅ」

「てんぷらって表現するんだ、、、」

食べると、さつま揚げのように魚のすり身を揚げた食べものだというのがわかる。真っ黒でどろどろの出汁は見た目よりやさしく、けれど年季は感じられる“味”になっている。

これもおいしくいっぱい食べた。

のぶゑばあちゃんも中華そばを平らげて

「ごちそうさま、いつもながらの味じゃわ」

「ごちそうさま、しあわせ」

とふたりで立ち上がってのぶえばあちゃんが支払いを済ませていると、あの落語家も食べ終わったようで後ろに並んだ。

すると、かっちゃんが

「お忍びさんお帰りで~す」と店内の人たちに声をかけた。

それまで気にしていないように見えた人たちも中華そばを食べる箸を止めて手を振ったり、拍手したりしている。

お忍びさんもニコニコと手を振ってそれに応えた。“お忍び“というのを表現したいのだろう、「しー」と小さく声を出しながらくちびるの前で人差し指を立てると、店内の人たちもうんうんと頷いて目で見送りつつ、再び中華そばに箸をつけた。

レジ打ちをしていたかっちゃんの後ろから、おかみさんとおぼしきおばあちゃんがよいしょよいしょと出てきて、

「またきまいのぉ、気いつけて帰り」と声をかける。

お忍びさんは愛想よくニコニコと、けれど胸の前で両手を合わせて軽く会釈した。

「ごちそうさまでした。また来させていただきます」

外に待たせていたタクシーに乗って去っていったその落語家の姿を目で追いかけながら、わざわざ彼が自家用機を飛ばしてここに来るのか、分かった。